中国の精神的祖国「漢」

「三国志」と聞くと歴史を知らなくても名前はわかると思います。

その中に出てくる「劉備」はしきりに、自分は「漢」の皇帝の末裔だと主張しています。そして、魏の曹丕が皇帝を名乗ると、劉備も蜀漢の皇帝となりました。

今回は、この「漢」にスポットライトを当てて書いていきたいと思います。

漢とは

初代皇帝は「劉邦」

漢は初代皇帝「劉邦」が、紀元前202年に宿敵「項羽」を破って建国されました。
首都は「長安(今の西安)」に置かれました。
それから220年、献帝が魏の王、曹丕(三国志で有名な曹操の息子)に皇帝の座を譲るまで、漢は約422年間、中国の歴史に名を残しました。

漫画家の横山光輝氏の作品で「項羽と劉邦」があります。
劉邦が天下を治めるまでが気になる方は、ぜひ読んでみてくださいね。
同氏の作品「三国志」も読まれたことが無い方はあわせてどうぞ!
(全60巻の大作です)

さらにもう一時代前は、「秦」が天下を治めていました。
こちらは、漫画「キングダム」で「嬴政(えんせい)」が天下統一し、秦の始皇帝になるまでの話が描かれていますので、こちらも合わせて読んでみてくださいね。
(現在進行形の作品なのでどこまで描かれるのはわかりませんが・・・)

ざっくり「漢」までの話しますと、秦の始皇帝は初めて、中国を統一し、皇帝となりましたが、皇帝の死去後、全国各地で反乱が起きました。

その反乱鎮圧のために軍が組織されるのですが、その中にいたのが、「項羽」と「劉邦」。

「武」の項羽と、「徳」の劉邦。

最終的には「徳」のある劉邦がたくさんの家臣に恵まれ、項羽を破りました。

その後、劉邦は秦の二代目皇帝を破り、漢の建国に至りました。

漢には前漢と後漢がある

漢は一度、滅んで復活したという歴史を持っています。
そのため、前漢と後漢に分かれて説明されている場合があります。
前漢、後漢を合わせて「漢」となっています。

漢は、建国以降、領土を広げ、国が強大になっていきました。しかし、月日が経つにつれ、皇帝が子供のうちから即位する状況になり、ついに、紀元8年に家臣であった王莽(おうもう)が皇帝となり「新(しん)」という国を建国しました。

ここまでのことを

しかし、建国から15年後の紀元23年に、初代皇帝劉邦の血を引く、「劉秀」が光武帝となりました。

これ以降の時期を「後漢」と言います。

中国の精神的祖国

中国といえば、人類史上、たくさんの物や事を発明しました。
その中の一つに「漢字」があります。
これも諸説ありますが、一説によると「漢の人々が用いる字」と言われています。

この時の中国人のことを「漢民族」と言います。
「漢(かん)」と書いて、「オトコ」とも読み「男」よりも、単なる性別というよりも力強いなど、ポジティブな意味合いで使われていることから、現代でも「漢」という字が特別扱いされていることがわかります。

その他にも、「儒教」や「元号・暦」などの今の生活にも及ぼすものの基礎がこの時代にたくさん生まれました。
中国の長い歴史の中でも、評価の高い時代であったと言えると思います。

最後に

今回は「漢」について書いてみました。

歴史的にすごく好きなところでもあるのですが、何が言いたくてこれを書いたのかといいますと、ここまで強大で未来永劫続く王朝かと思われた「漢」ですが、疫病の蔓延により、その地位が揺るがされてしました。

次回は「漢」と「疫病」について書いていきたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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